Secure-japan
header


診断
犯罪事例
セキュリティ情報
このサイトについて
  

“フジヤマのトビウオ”古橋広之進氏がローマで死去、80歳

競泳の世界記録を33回も塗り替え、敗戦間もない日本人に自信と希望を与えた“フジヤマのトビウオ”こと古橋広之進氏が2日、世界水泳選手権が開催されているローマで死去したことが2日分かった。80歳だった。静岡県出身。
昭和23年8月、日本が招かれなかった戦後初のロンドン五輪の日程に合わせる形で開催された全日本水泳選手権の男子1,500メートル自由形で当時の世界記録を21秒8も短縮する18分37秒0という驚異的な記録で優勝。ロンドン五輪優勝者のタイムをも大幅に上回る快挙を演じた。2日後の400メートル自由形でも世界記録を打ち立て、敗戦に打ちひしがれた国民を熱狂させた。
同24年8月には全米選手権に出場。1,500メートル、400メートル、800メートル、800メートルリレーの4種目すべてに世界新記録を出して圧勝し、“フジヤマのトビウオ”というあまりにも有名なニックネームがついた。しかし、五輪との巡り合わせは悪く、日本が五輪に復帰した同27年の第15回ヘルシンキ五輪では400メートル自由形だけに出場し8位。25年の南米遠征で口にした「たった一杯のコップの水」がアメーバ赤痢を誘発し、ついに本来の力を取り戻すことが出来なかった。
現役引退後は後進の育成、スポーツ界の発展に寄与した。39年東京五輪の際にも五輪を成功に尽力した。その後も日本水泳連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)会長を歴任。国内の要職を退いた後も国際水泳連盟副会長などを務め、後輩たちを見守り続けていた。08,年には競技者出身としては初めて文化勲章を受章した。


footer